駒川改心流剣術
流祖 駒川太郎左衛門国吉のち号を改心と称す。新陰流開祖上泉伊勢守信綱に就いて新陰流を学び、のち桜田次郎左衛門貞国に伝え、これより駒川改心流と称します
型の体系:表中太刀、実手、小太刀、表薙刀、両刀居合詰、奥薙刀、奥実手、奥三つ太刀、奥太刀、鎖鎌、表三つ道具、奥三つ道具等

四心多久間流柔術
伝教大師最澄を始祖と仰ぎ、第四代から武士に受け継がれたため正式名称は四心多久間四代見日流柔術といい、法華止観一念三千の妙体自在神力の妙用を和術により修するものです。
型の体系:居捕型、立合型、刀之巻等(誠玉小栗流殺活術は奥伝の付伝として、当身法、急所部位、蘇生法等を学んだものです。)

民弥流居合術
神明夢想流の林崎甚助重信の高足たる長野無楽斎槿露(長野流、無楽流とも)に就き居合術を学んだ上泉孫次郎(孫四郎とも)が後年、母方の姓を名乗り、民弥権右衛門宗重と称し、それ以後、民弥流と称します。

椿木小天狗流棒術
流祖は椿木小天狗と異称され、慶長年間の人で、詳細は不明です。
型は、表、裏、奥伝があり、棒そのものを相手の武器には触れずに体捌きによって制することを特長とします。

型の理論

型は実戦の雛型ではない、と言いはじめてからだいぶ時日が経ちました。初めての著作を出版したのが昭和63年 (1988)でしたから、それ以前からの持論です。もちろんその考え方はすべての家伝の型から導き出されたわたくしの独創的主観です。現在とは異なり、わ たくしの若い頃は、多くは型というものの世間一般の認識は、形骸化された、まったく役に立たないものというものでした。

無足の法

無足の法とは、四心多久間流柔術に伝えられた秘法です。秘法という言葉を使いましたが、 昔の人々(さむらい)は、このような言葉をつかい、その伝をたいせつに守り、懸命に修行したのです。そんな古人たちの心を汲むことは現代ではとうてい難し いのではないでしょうか。われわれ現代人がいきなりこのような身体技法を学ぶことの難しさは、たとえようもありません。秘法と言われた技法を学ぶ以前に日 常の立ち居振る舞いを見直さなければならないのではないでしょうか。
その技法の原理原則は、足を使うな、床を蹴るな、倒れるということを主体とせよ、ということです。歩法としての型がありますが、いままでにきちんとできた弟子を見ません。理屈を知っただけ、運動神経の善し悪しだけでは解決できないものと言えます。

浮身

この術語は居合術におけるものです。
座 構え-左膝を折り敷き(蹉座)、右膝を立てた(夷居)構え-から、左膝は着けたまま腰を浮かし、柄に右手をかける動作、この状態を浮身と称します。この動 作も秘法と言ってよい難度の非常に高い身体操作が要求されております。少し勉強すればだれでもできるというほど簡単なものを、昔の侍たちが秘法、極意と名 付けるわけがありません。重心の左右への移動を極力ひかえ床を蹴らずに身体が浮上しなければなりません。そのような術技が身につかなければ、すでに太刀を 抜いて立っている相手に対して、この座構えが優位に立つことはけっしてありません。いっけん不利と思われる常識がくつがえされるからこその術であります。

最大最小理論

こ の理論はなかなか正しく理解されにくいものです。長い物を短く、短い物を長くあつかうということがこの理論の核心です。身体と武器あるいは体と手足などの 関係において、その動きを消すための理論です。最大限に動くことにより、最小の動きが生まれ、その動きは消えます。最大の力を使うのではありません。ある 一定の間合い、空間の中で、たとえば両腕を伸ばした状態で太刀を振ろうとすれば大きな運動となりますが、遅くなります。ところが、この理論では最小となり ますから最速となります。最大の動きが最小、最速となるのです。型の世界というのは、このような種々の理論が体系化されたものなのです。目先の強弱に重き をおいた、人の複合的な動きを評価するものではありません。ただひたすら侍の伝え残そうとした型、すなわち理論を学ぼうとするものです。

等速度理論

あ らゆる方向に、すべて等速度(同じ速度)で動くことが大事です。等速度であるということは、動いていないのと同義です。動かないのがもっとも速いと言われます。この理 論も消える動きを生むために必須のものです。いつ動き出したのかわからないほど静かにゆっくりと動くことを学ぶことが最速を養成します

順体法

こ の技法は、手足を動かさないということです。等速度といい、この順体といい、いずれも至難の技法です。そして、これらが基本としてあるということは、それ 自体が極意、秘法だからなのです。はじめから極意的技法を学ぶのが、基本というものの考え方です。その基本からはずれずに長年にわたって修錬するものが型 の世界です。基本では手や足などを動かさぬまま動く、ということができて、はじめて型の手順に動かすのです。だからこそ消えて見えるような術技性が生まれ るのです。